越後国一宮・名神大社
       彌彦神社(元国幣中社)

 越後平野の中央に国の鎮めと聳えたつ弥彦山の麓に鎮座ましますのが越後一の宮彌彦神社です。
 御祭神は天香山名(アメノカゴヤマノミコト)。
 天照大神の御曽孫で、天孫降臨に供奉して降り、神武天皇御東遷の時大功を立てられた。
 天皇即位4年、勅を奉じて越後の国土開発のためご来臨。弥彦山の東麓に宮居して当地方を鎮撫し、住民に漁業、製塩、農耕、酒造等の術を授けて、当地方の産業文化の基礎を築かれた。
 命は実に越後文化産業の始祖神である。
 境内内には妃神を始め6代の神々も祀られている。
御由緒
 彌彦神社の創建年代は詳でないが、社記によると和銅4年(711年)、詔により神域を拡げ社殿を造営し、続日本後紀天長十年の条に「名神に預かる」とあり、延喜の制では名神大社に列し、村上天皇の天暦元年(947年)に正一位に進まれた。古来朝廷の御崇敬篤く、明治天皇はご一新にあたり明治11年、北陸御巡幸に際し御親拝相成り、昭和47年には昭和天皇・皇后両陛下御揃いで御親拝の光栄に浴し、更に昭和56年には皇太子、同妃であられた天皇・皇后両陛下のご参拝を仰いだ。
 このように皇室を始め戦国の武将、徳川家の将軍等の崇敬頗る篤かったが、それにも増して顕著なのは当地方民衆の崇敬である。「お弥彦まいり」の講参は年々盛んで、また全国からの崇敬者の参拝も年間を通じてきわめて多い。
御社殿と御神木
 一の鳥居を潜って左折し手水舎前に来ると、右手に石柵を囲らした浄域があり、椎の大木がある。社伝によると御祭神が携えてこられた椎の杖を地中に挿し、「もしこの地が自分の住むべき土地ならば繁茂せよ」仰せられたところ、芽を出し根を生じて大木となったと語り伝えられている尊い御神木である。
 二の鳥居から前方を見ると、秀麗な弥彦山を背景に、髄神門が左右にその翼をひろげ、一歩随神門を入ると眼前に鮮やかな御社殿の全貌が現れる。
 拝殿、本殿、祝詞舎、神饌所、回廊とそれぞれに均衡を保ちながら総合して醸し出す美しさは、周囲の緑林と相映じていよいよ一段と荘厳である。

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